東京都新宿区で生まれ育ち、専修大学卒業後スーパーマーケットの青果部にて勤務していました。この頃は野菜が好きでもなく農業にも全く関心がありませんでした。
さらに、訪ねた農家の「きつい、稼げない、廃業したい、息子には継がせない」等ネガティブな言動が脳裏にインプットされ、農業ってなんて悲惨な職業なんだろう、と絶対にやりたくない仕事の一つでした。
その後、宮城県に移住し医療品を扱う会社に勤めていましたが、30歳になった頃ふと考えるようになりました。
「自分の人生このままでいいのかな?本当に好きなこと、本気になって取り組めることをやりたい!もっと社会や人の役に立っていると肌で実感できる仕事をしたい!一度きりの人生、自分の可能性を信じて挑戦したい!」
東京にいた時は全く気づきませんでしたが、地方に暮らすようになり農村の過疎化や高齢化、若者の田舎離れ、など様々な問題を身近に感じるようになりました。
田舎で農家を継いでも稼げないから若い人は皆東京に行く、東京に行けば便利で不自由ない暮らしができる。
社会構造上仕方ないのかもしれないけど、このまま10年20年とますます農業従事者が減り日本の食料自給率が下がり不確かな輸入農産物ばかりありふれる日本で良いのかな?もしかしたら農業も旧態依然のやり方ではなく、生産者が消費者と直に繋がって声を聴くことができたら。。農家がより主体性をもって販売まで関わることができたら。。
「農業ってなんてやりがいのある仕事なんだろう!!これからの時代これほど必要とされる仕事はない、ハードルは高いけれど挑戦したい! 農業と農産物の価値を高めて魅力的な農業を実践し、若い人がやりたいと思える職業にしたい!」
農業に飛び込む決意を固め、仙台の会社を退職して宮城県蔵王町の農業生産法人に勤め始めました。
そこで偶然のイタリア野菜との出会いがますます僕の農業熱を高めることとなります。
わけもわからず、プンタレッラ、タルディーボというイタリア野菜の栽培担当になったのですが、宮城県がローマ県と友好姉妹都市ということでイタリア野菜の試験栽培を始め、勤務していた農業生産法人も栽培を始めたのでした。
未知の野菜に対する好奇心や直感で、イタリア野菜農家っておもしろいんじゃない?!
ニーズがあるのに供給がないイタリア野菜を作って都内のイタリアンに売り込めば経営的にも成り立つだろうと。
それから3年間、無我夢中でプンタレッラとタルディーボの栽培技術の習得に励みました。
イタリア野菜の市場ニーズもある程度把握し、「もっと色んな種類のイタリア野菜を栽培して都内のイタリア料理店と取引ができたら、こんなにやりがいがあって楽しい仕事はないだろう」
と確信して都内近郊でイタリア野菜専門農家として独立することを決意しました。